2012年4月30日月曜日

内部被曝の恐怖

今回は予定を変更して放射線のことについて書きたい

改訂されたセシウム基準値を上回る値がいくつかの野菜から検出された。だがセシウムよりプルトニウムがもっと怖いらしい。

http://sankei.jp.msn.com/science/news/120309/scn12030900590000-n1.htm
上の記事では、福島でプルトニウム241(半減期14年)の「他の同位体プルトニウム239(半減期2万4千年)、240(同6600年)も検出」したと書いてある。が、それがいくらくらいなのかは書いていない。

プルトニウムは、それ自体に害はないが、それが崩壊するときに出すアルファ線が怖い。以下wikiより引用。


重い原子核が分裂することであるアルファ崩壊によりアルファ線が放出される。半減期が短いほど高水準の放射性活性が短期間続き、半減期が長いほど低水準の放射性活性が長期間続く
↑http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E5%B4%A9%E5%A3%8A


で、これを取り込むとどうなるか。以下引用
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体内にプルトニウムが入ったら、半永久的に肺の中で放射線を出し続けて、血液によって全身へ運ばれて、肝臓、骨、リンパ節などに蓄積されて、体外にはほとんど排出されない。長崎の原爆で「死の灰」を吸い込んで内部被曝した人の中には、60年を過ぎても体内のプルトニウムが放射線を出し続けてた例もある。そして、その人が亡くなったあとも、周囲に放射線を出し続ける。そして、半減期は2万4000年だから、もしも土壌を汚染してたら、そのエリアは完全にアウトだ。あたしたちが生きてる間どころか、遥か未来の彼方まで、人間はその土地で暮らすことはできなくなる。
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2011/03/post-35bf.html
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これだけ読んでもあんまり信憑性はないように思えるかもしれないが、次の文章はもっと詳しいことを書いている。
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アルファ粒子はプルトニウムを含むか、又はそれに直接接触する組織にのみ影響を与える。二種の効果が重要である:急性及び慢性毒性。被爆率が十分高ければ、組織は中毒の効果が急速に表れて急性放射線中毒にかかる。被爆率が低い場合、累積的な発ガン効果を引き起す。
溶けやすい塩類にして飲み込んでも、胃腸の内容物と固まりやすいので胃腸の器官系に吸収されることはほとんどない。水溶液からは沈殿し、他の材料と溶解しない合成物を作る傾向を持つので、プルトニウムの水の汚染物は自己制限現象になりやすい:
プルトニウム500ミリグラム(7キューリー)を細かくするか、又は溶解しやすい材料として飲み込むと、胃腸の器官系が急性被爆を受けて数日から数週間後に死に至る。
プルトニウム100ミリグラム(1.4キューリー)を肺が閉止する程度の大きさの粒にして吸入すると肺浮腫を起して1から10日のうちに死亡する。
20ミリグラムを吸入すると繊維腫を起して約1ヶ月以内に死亡する。
これらの値より少ない場合は、慢性癌腫の影響が重要になってくる。
プルトニウムが慢性効果を持続するには、体内に引き続いて存在しなければならない。肺分泌閉止に適当な寸法範囲の吸入した不溶解性の粒子(1-3ミクロン)は肺の中に永久に沈殿する(非核兵器の事故による高性能炸薬の爆発はここに示すプルトニウムの病状の20-50%に置き換えることが出来る)。人が曝される最も一般的な化学形態は酸化プルトニウムである。この酸化物は反応燃料として用いられ、金属プルトニウム粒子は急速に酸化する。この酸化物は殆ど水に溶けない。
http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/nuclear_plutonium.htm
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プルトニウムは五つの角砂糖分があれば日本人は全員死ぬらしい、と言われるが、それもあながち嘘ではなさそうだ。

いま、福島で高校生がどんどん心筋梗塞なんかで死んでいるらしい。が、そういうことは日本では報道できないらしい。放射能被害を追求するジャーナリストは記者クラブからはじかれる。病気を被爆が原因と判断する医者は職を失う。

ドイツで作られたドキュメンタリーが話題になっている。


広瀬隆氏「福島原発事故の真相と放射能汚染の恐怖」 


原発による汚染範囲をシミュレートした動画も見たんだけど、どうも見つからない。それでは、東京や神奈川の東側が汚染されているのがわかった。そこではどうなっているか。以下引用。
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このような環境で、母の具合が悪くなるのはとても早かったです。
元々ホットスポットの埼玉の三郷とは目と鼻の先でした。
3月中旬からどろっとした鼻血が毎日、数回、仕事中も出ていたそうです。
(これは去年の11月に実際に避難するまで続きました)
そして3月下旬には止まらないから咳が始まり、
4月に入り40度の熱が2週間続き、医者に見てもらっても単なる気管支炎、インフルエンザという診断でした。
しかし血圧はもう死んでもおかしくない程上がり、その症状が治まると
今度は顔に発疹ができ、また寝られないくらいヒドい咳が出始め、また治り、最終的にはマイコプラズマ肺炎にもなりました。この間、必死で説得し続けて、
こんなにあらゆる症状が出ていてもメディアに洗脳されていたのか、「放射能」が原因だとは考えられなかったようです。
しかし、10月からは全く動けなくなり、
少し堪忍して、肺炎の症状が和らいできた11月に急いでこちらに来ました。
こちらに着いて直ぐに鼻血は止まり、2週間は咳も止まらず具合が悪そうでしたが、それ以来は一度も具合が悪くなっていません。。。

それとは別に母が日本から持って来たスーツケースなどに放射能がくっついて来たのか、
今度は私が熱を出し2週間寝込みました。
しかも下痢が1ヶ月も続き、生理不順になり(殆ど不順になった事がない)子供たちもインフルエンザのようになり、
犬もずっと下痢でした。
他の海外在住の友人の話でも日本からの荷物で突然具合が悪くなったケースがあると言っていました。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927
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放射線を外からあびるだけではたいしたことないが、放射線物質を取り込んで内部被曝してしまうと、上のような症状が出る。同じく以下引用
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私の子どもですが、3月15日の爆発後、1週間ほど連続して鼻血を出しました。
夏休みは海外に2ヶ月間保養にでましたが、帰国した当日、成田で見たことの無い大量の鼻血をだした。近くに居た人が、ポケットティッシュを差し出してくださるほどの、大量の鼻血。昨年の原発爆発後は、風邪の症状は無いのに食欲不振が長く続き、腹痛を訴えていました。現在は疲れやすく眠気がひどい。めまいも一時期ありました
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927
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大量の被爆をした場合よりも、低濃度の被爆の方が、免疫症状がでて体の異常を感じることが多いらしい。鼻血、慢性的疲労感、下痢といった症状が出ている。

ところで、日本には原発が「高危険区域に25基、中危険区域に25基、低危険地区に7基」ある。
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/03/post_744.html

これらは活断層の上や海岸の近くにあって、いつ福島のような被害に見舞われてもおかしくない。


すでに関東は汚染された死の地になっている。そしてこれは数千年続く。体に異常を感じる人は逃げ出した方がいい。

残りの原発もすぐに処理し始めないと、日本全体が同じように汚染されるだろう。このままでは、日本全体が百年以内に死の地になる。

2012年4月29日日曜日

日本における「エロ」の多様さ

日本人はマッカーサーに「日本人の精神年齢は三歳くらいだ」とか言われたことをトラウマに思って、欧米人に劣等感を持ってしまったりするようなのだが、人間の豊かさや成長の度合いを測る基準にはいろいろある。

たとえば、日本人は世界で一番、「エロい」ということについて繊細で多様な感覚を持っている。これは誇りに思っていい。

サウジアラビアという国に入った人のブログをたまたま読んだのだけど、入国するときにハードディスクにあるエロ画像を二時間かけてすべて消されたらしい。
http://www.worldwidehunters.com/archives/51937522.html

あの国では、エロ画像や動画はすべて禁止で、きっとネットでも見れないようになっているに違いない。するとどうなるか。「エロ」にもいろいろある、ということがわからなくなるのである。エロにも、健康的なエロ、絶対領域のエロ、見えそうで見えないパンツのエロさ、などといろいろある。ところが、こうした豊かにエロに触れることのできないまま大人になってしまうと、エロ=セックスになってしまう。

おそらく、一世紀前までは世界のどこでも似たような状況だっただろう。しかし、日本では江戸時代後期に、セックスを描いた春画以外にも、美人画や危絵といった中間ジャンルが育っていた。これこそ、今の日本の繊細なエロの源流である、と思う。

メディアを通じてある特殊な感性が一般化する。日本には、そうした一般化した特殊な感性が多くある。エロもその一つで、これは文化だ。「エロさ」は明らかなポルノ作品にだけあるのではなく、ほぼすべての漫画やアニメにある。ほかにも、大江健三郎のようないかにもまじめな感じの小説家がやけにエロい小説を書いていたりするっていうのは、日本だけではないだろうか。フランスで有名なウェルベックなんかは見た目からしてエロそうだ。まあどうでもいいが。

さまざまな種類のエロさを楽しめる土壌のある日本文化というのは、じつは世界的にみてものすごく貴重なものなのだ。これは、西洋におけるエロ表現を見ればすぐわかる。もっとも、日本の多様なエロさの表現とその分布領域についてまじめな研究をした人はいないだろうし、そんなテーマを思いついた人さえいないだろう。エロというものが取るに足らないものだと思われているのは、文化的な損失だ。さらに言えば、日本のエロといえば、AV女優ばかりが世界的に有名な状況は、日本本来のポテンシャルからして非常に不本意である。

2012年4月26日木曜日

「人間開発指数」のウソ

人間開発指数というのがある。その国の、人々の生活の質や発展度合いを示す指標である、らしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E9%96%8B%E7%99%BA%E6%8C%87%E6%95%B0

この数値は平均余命指数と教育指数、そしてGDP指数から計算される。教育指数のなかには成人識字指数 (ALI) と総就学指数 (GEI)という小項目がある。2011年の一位を見てみると、 ノルェーになっている。日本は12位。オーストラリアが二位。

これを見て「日本はまだまだトップじゃないのか」と思う人はまんまとだまされている。日本が世界で一位でないはずがない。こういうのは、「一人あたりのGDP」なんかと同じく、うそをつく数字によって作られた指標だ。

平均余命と教育、そしてGDP、この三つが一番高いのはどう考えても世界で日本が一番なはずなのに、なぜ12位なのか、わけがわからん。ノルウェーはどうかだ知らないが、オーストラリアが二位とか笑えるとしか言いようがない。あの国はテレビで頭のいい中学生が出て、8*5は45?とかやっている国だ。

そもそも、日本人は日本のことも西洋のこともよく知っている。グリム童話も猿蟹合戦も知っている。ルイ14世も織田信長も知っている。これがフランス人になると、グリムは知っているかもしれんが、日本の話なんて知るわけないし、学校ではフランス史しか教えないので、ほとんどのフランス人が世界の歴史に無知だ。

たとえば、日本とアメリカが戦争したっていうのはかろうじて知っているが、「どこで?」かは知らない。日本とロシア、中国とイギリスが戦争したとかになるとまあ知らない。そんなんで恥ずかしくないのだろうかとぼくは思うのだけど、フランス的にはフランスのことを知っていればOKなのである。日本の国粋主義者も真っ青だ。九九も怪しくて、7*5とかを30って答えちゃう。暗算できる人はまずいない。

一番びっくりしたのが、イスラム教もキリスト教も同じ神だってことを知らなかったってこと。こんなことも学校で教えないらしい。後発の宗教を信じているからアラブ人は知っているかと思うと、フランスにいるアラブ人は知らないっぽい。おいおい自分たちの宗教について何も知らないのか、と不安になる。日本の国粋主義者も真っ青である。

基本的な教養水準において、日本人にかなう国民はいない、というのは外国に住む日本人だれもが感じることではないだろーか。もちろんこれは、文化的な水準も高いってことだ。ぼくは日本で育って日本のアニメや海外のアニメ、日本の音楽や海外の音楽、日本の小説や海外の小説、日本の言論や海外の思想なんかに自然と触れて育ってこれたけれど、これがフランスにいたとすると、フランス以外のものはなんにも知らずに終わったのではないだろうか、という気がする。

よく、ちょっとした金持ち層にありがちな話として、子供が生まれたらシンガポールあたりで高度な英語教育を受けさせたい、とか考えている親がいる。しかし、それはやめたほうがいいとぼくは思う。たとえ英語教育がおそまつでも、日本に住んでいれば、日常的に触れられる情報の量と質、自分で調べて簡単に手に入る情報の量と質が圧倒的に豊かで、それは何ものにもかえがたい。一つの例だけど、日本のあの無数の漫画雑誌がまったくない国で子供時代を過ごす子供と、それがない国で過ごす子供とどっちが文化的に豊かになるだろうか。もし子供時代にジャンプが買えていなかったらと思うとぼくなんかはぞっとする。まあでも国粋主義者ではないんだけど。

2012年4月19日木曜日

イエローストーンのオオカミ

イエローストーン国立公園にいったん絶滅した狼が再導入されたのが1995年。2007年にネイチャーとBob Landis監督によって、その狼たちを撮影したドキュメンタリーが作られていて、これがいい。


なにがいいかって、とにかくオオカミがかっこよい。ドルイドと呼ばれるこいつらの面構えには、強靱な精神が感じ取られる。それはまさに開拓者のそれだ。こんな美しい生き物がほかにいるだろうか?

オオカミといえばシートンの描いた「ロボ」がいるけれど、あれは普通の人間よりはるかに頭がいいオオカミの話だった。頭だけでなくて、ぼくは精神においても、野生の狼は普通の人間よりはるかに強いと思う。

それはとにかく、なぜオオカミがイエローストーンに再導入されたか。詳しくはwikiに書いてある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%81%AE%E5%86%8D%E5%B0%8E%E5%85%A5

要するに、生態系の頂点にいたオオカミがいなくなったことで、ウルク、つまりでっかい鹿が増えすぎてしまったから、というもの。ウルクのおかげで特定の木も減るし、植生が貧しくなる。オオカミの代わりに増えたコヨーテなんかのおかげで、なんだかわかんないけどビーバーなんかも減ってしまったとのこと。

これがオオカミのおかげで回復してきている、というのが大勢の研究者の見解だそうだ。

『日本の森にオオカミの群れを放て』という本も出ているけれど、日本でも同じことをしようと言っている人がいる。
http://www.athome-academy.jp/archive/environment/0000001016_all.html

んが、アメリカでは導入までに20年かけている。詳しくは以下を参照。

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合衆国政府は、妥協案の作成・条件整備・実行について責任を負い、妥協点を探し出すのに約20年間をかけて努力を続けた。1974年にオオカミ回復チームが任命され、1982年には意見を集めるために最初の公式の回復計画(Recovery Plan)を公表した。オオカミ再導入に対する一般的な不安があったため、州政府および地方政府の判断を加えやすくするように、魚類野生生物局は計画を変更した。そのようにして、意見を集めるための2番目の回復計画が1985年に公表された。同じ年に行われたイエローストーン国立公園の訪問者へのアンケートでは、74%の人がオオカミが公園の改善に必要かもしれないと回答し、60%の人が再導入に賛成した。再導入に承認を与える前の最終段階として、実施した場合の影響の事前評価(環境アセスメント)があった。連邦議会は、環境アセスメントへの支出をする前に更に研究が必要であるとして、計画を差し止めた。
1987年に牧場主たちは、再導入提案者に経済的負担に対する補償を要求した。それに対してDefenders of Wildlife(アメリカ合衆国の自然保護団体)は、オオカミによる被害で失われる家畜の市場価格を牧場主たちに補償するために、「オオカミ補償基金」を準備した。その同じ年、最終的な回復計画が発表された。その後、研究・公的な教育・意見募集を行い、公開検討を加えるために1993年に環境影響評価書(環境アセスメントの結果報告書:Environmental Impact Statement)の草稿が発表された。この環境影響評価書には15万以上の意見が寄せられ、1994年5月に成立した。
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なんだかんだ言ってもアメリカはすごい国だ。オオカミの再導入とかほんとに効果があるのかどうかまったく証明されていないことを、20年もかけて実施しようという情熱を持った人と、それを支える組織の一貫性が20年間もあったのか・・・・ 

こいつらだね。
http://www.defenders.org/

スコットランドでもオオカミを導入しようという話があるらしい。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/6310211.stm

まあとにかく、世界中でオオカミがよみがえっていくのは喜ばしいことだ。

2012年4月13日金曜日

日本症候群研究(上)

私たちはここ数年、日本症候群の多種多様な形態や症状について、その誘因を探求してきた。ここに報告するのは、その研究の一部である。この報告についても、医師の守秘義務による制限は受けており、ゆえに報告できるのは一部の症例のある部分のみである。それでも、私たちはこの報告が将来の研究の進展に寄与する関心を呼び起こすことを願って、この貧しい成果を公に問うものである。

症例1.ドーロ


ドーロは発症時六歳。私がこの患者を看たのは彼女が19歳の時である。彼女が育った家族には幾人か精神病者がおり、彼女もその遺伝的負荷を受け継いでいるようだ。彼女自身は以前より健康で、よい家庭に育ち、飲酒も薬物摂取の経験もほとんどない。

社交的な生活としては、友人と週末にダンスをしに出かける、というくらいで、恋人はいなかった。最近モルモン教に改宗したという彼女は、フランス人の男たちは結婚前に性交渉を望む変態だ、と声をわななかせたあと、罵り散らし、人々に枕を投げつけ、掛け布団や下着のボタンを引きちぎるなどした。

催眠療法によって落ち着かせた後、じゃあどういう相手となら結婚できるのか、と問うと、彼女は白い袴を着た日本人と結婚するという。日本にはモルモン教徒が多いので、婚前交渉に関しては心配していないらしい。


症例2 ミス・パーシー

ミス・パーシーの発症時は不明。彼女が20歳のときに彼女は私のクリニックを訪れた。話を聞くと、社会的な面での人生は順調であり、とくに日本人に対する極端な興味も見せなかった。ところが動物園の話になると、

「身動きなさらないで、どうすればいいのでしょう! 私にお触れにならないで! もしネズミや蛇がそのへんを歩いていたら、どうすればいいのでしょう!」と恐慌状態に陥った。

私が催眠状態において日本の動物園ではそんなことはない、と教えると、涙を一時間ほど長し続けあと、この症状は除去された。


症例3 マリー・フォン・O

マリー・フォン・Oを私が看たときに彼女は16歳だった。日本のあるアニメを見ていた5歳のときに発症したらしい。私の不注意のせいで、このアニメの名前をメモするのを忘れてしまい、それがなんだったのかはわからないままだ。

ある日彼女の腰が痛むというので診察に行くと、

「先生明後日からバカンスなんですが、明日は体育授業があるんです。この寒い中。外で走らないといけないんです。ちょっと熱があって体がだるいので、やりたくないんです。明日、ベッドの中で学校に行く前に、重病じゃないけど学校に行けないくらいの病気を演じてみようかしら。『お母さん、とっても熱があるの。今日は学校を休ませてちょうだい』って。でも私よい女優じゃないから、どうすればいいでしょう。」

というので、

「バスのなかに体操着を忘れてごらんなさい。バスは何時にいつも乗るのだね」

と聞くと上の空で聞いておらず、熱に浮かれた調子で

「でも、もう私あらゆる手段を使い尽くしたんです。『昨日よく眠れなくて朝なんにも食べていないんです』『今日は頭がなんだか痛いんです』『先生お・ね・が・い・・・』」

そこで、フランスでは水泳の授業はあるのか、と訪ねると、とくに季節に関係なく近くの公営の温水プールの一部を借りてやっているようだ。主にそれは水曜日の午前中のようである。

2012年4月12日木曜日

日本の職業音楽家三人

ぼくが子供の頃から聞いている日本の職業音楽家がいる。

なかでも、菅野よう子は世界的に、というか日本好きの人間の間で圧倒的に知られている。そんな彼女の傑作はこれだろう。



テクノだけど民族的な味わい。これは聞いたことのない音楽だった。

wikiを読むと、彼女についてこう書いてある。

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クラブミュージックに見られる繰り返しの多いミニマルな展開やキックの4つ打ちもあまり好きではなく、「Cowboy Bebop remixes music for freelance」のリミキサーの選定をしていた渡辺信一郎や佐藤大に対して「これは音楽じゃない」「マシンが鳴っているだけで気持ち悪い」等と言い、二人から大量のクラブミュージックのレコードを聞かされたという逸話がある。
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面白い。渡辺信一郎、佐藤大、グッジョブです。
彼女の生映像もある。



東野美紀もゲーム音楽からはじめた人。なんとコナミで『グラディウス』の作曲をしたときにはまだ学生で、バイトだったとのこと。そんな若い人がファミコン創世記を支えていたのか、と今になって知る。


なんと耳に心地よい音楽であることか。

ちなみに、コナミでは作曲家が集まってコナミ矩形波倶楽部というバンドを作っていたんだけど、そのアルバムなんかを聞いても案外普通なんだよね。そういうバンド音楽より、当時のしょぼい音源で作られた8ビット音楽のほうが先端だった気がする。

ところで、彼女のインタビューが面白い
http://www.gpara.com/contents/creator/bn_257.php

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今、個人的に興味があるのは子供の観察です(笑)。娘がまだ1歳のころ、私が友人とひとしきり電話したのち、彼女は携帯を持って「ペチャペチャ ペチャプ~。バ~イ♪」と言って私を真似たんです。よく「ぺちゃくちゃ喋る」といいますが、言葉が確立されていない赤ちゃんの耳には、大人のお喋りは「ぺちゃぺちゃ」と聞こえているようです。ささいな事ですが、感動しませんか? これはほんの一例です。神秘的な事件は日々起きています。
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この話聞くだけで彼女が魅力的な人だってのがよく伝わってくる。

ちなみに、イーアルカンフーも彼女の作品だ。


加古隆は職業音楽家ではないだろうけれど、多くの映像音楽を作っているのでここに挙げたい。まずは何よりも『映像の世紀』のテーマ曲


いろんなテレビ番組をみてきたけれど、これが一番だった。その栄光ある番組を見事に飾った音楽だった。加古隆はほかにこんなのも作っている。

2012年4月10日火曜日

日本語キーボードをフランス語化する方法

フランス語にはアクサンとかがあって、日本語のキーボードでは打ちづらい。

フランス語入力方法の詳しい方法は下のHPで書かれている。
http://citron.maxs.jp/memo/fmemoxp.html

驚いたのは次の方法

>「é」を入力するには[Alt]キーを押した状態で
>その右横の「0233」とテンキーを使って入力し、[Alt]キーを離します。

これはしらなんだ。0232がèなので、0233と0232さえ覚えておけば、わざわざフランス語入力にしなくてもだいたい大丈夫だ。

でも、本格的にうつにはこれでは面倒なので、やはりフランス語キーボードを使うしかない。

でも、フランス語キーボードは日本語入力のオン・オフボタンがないので個人的には使いづらいと思っていた(キー割りあての変更もうまくできない)。ほかには、アットマークの配列とかが違う。コマンドに使う記号の配列なんかも全然違う。

これを解決するには、キーボードに違う言語のステッカーを貼っちまえばいいのだ。

これはフランス語の。
http://goo.gl/mmMyx

日本語のもある。
http://goo.gl/VbHH0

せっかくだからREALFORCE とかの日本製高級キーボードを買っちゃって、フランス語用キーボードのステッカーを上に貼っちゃえば、普通に使えるわけだ。

2012年4月8日日曜日

十進法と二進法の発明

十進法ってのは、人間の指が十本あったから思いつかれたものらしい。という説明を聞いてなるほど、というよりかは、本当か?と思った。

だったら、十二進法とかはどうやって思いつかれたというのか? 

と思っていたら、次のような説明を見て、腑に落ちた。

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十進法を世界で最初に考え出し、その使用を提唱したのはベルギーの商人シモン・ステヴィン(1548~1620年)です。

ステヴィンは、当代きっての軍事的天才、オラ二エ公ナッサウのマウリッツ(1567~1625年)のお抱え教師で『築城術』(1594年)を著わしたり、コペルニクスを(ガリレオに先んじて)支持する立場の本を著わした(1608年)ほか、遠近法の論文、力学の手引書、航海術の教科書、経緯測定法の教科書、船の位置を常に把握するための斜航線操舵法の改良案、さらに、『平均律』音階を利用した音楽調律理論の本、力の平行四辺形に関する独自の理論を応用した機械仕掛けの焼肉用鉄串の設計図を作ったり、等々天才と呼ぶに相応しい人だったのです。

1785年にジェームズ・マディスンは『それぞれが、違う言語で話すという不便さに次ぐものは、便宜から作られた異なる度量衡を使う不便さだ』と述べていることからも分かるように、科学者が、お互いの実験を確かめるのに役立つ国際語としての数学用語には、数を最小単位に分割し、それを表す簡単な方法が昔から必要とされていました。

ステヴィンの発明はあまりにも単純で、そんな発明が必要だったとは信じがたいほどのものだったのです。プランタンがライデンで出版した36ページの小冊子『十分の一』(1585年)の中でステヴィンは、十進法を提唱しています。1608年に出た英語版で『十進(デシマル)』という言葉が初めて英語に導入されました。

それまでの分数の取り扱いは厄介だったのです。ステヴィンの解決法は、分数の単位を全部整数として扱うというものでした。例えば、4と100分の29という数字があるとします。これを簡単に100分の1という数字が429個あるものとすると考えてはどうかとステヴィンは言ったのです。与えられた数字を一度その最小単位に還元して、整数も分数も、その単位の倍数として扱う。実験するものは、今や、全ての数をまとめて処理できるようになりました。

日常生活の面では、商人と客のもめごとや、銀行家と借り手の問題をいかに簡単なものにするかをステヴィンは示しました。ステヴィンは『小数』を用いることが、測量にも、布地や葡萄樽を計るときにも、天文学者や貨幣鋳造者の仕事にも利点となることを示しました。そして、兵士を10人、100人、1000人といった単位にわけることの利を説きました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1486284.html
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ここで書かれていることは、十進法の確立、というよりは「小数における十進法の導入」の問題である。そして、小数において十進法が導入されたのはヨーロッパが最初ではなく、むしろ遅れていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%95%B0

ただステヴィンの解決法は、小数の位に桁の名前を必要としないものなので、これで一気に西洋数学は中国圏より先に進むことになった・・・んだと思う。きっと。


なにかを数えるときに、場合場合により十進法だったり十二進法だったり二十進法だったり、というのは、とくに人間の指とか関節が起源でなくてもありえることだと思う。
http://www2m.biglobe.ne.jp/%257Em-souda/mysouda/math/smith/chapter1/math21.htm
問題は、それを数える原理として徹底できるか、というところにある。そういう意味では、やはりステヴィンの解決法は画期的だったわけだ。これが17世紀初頭。


英語でBinaryという二進法の発想は、やはり 17世紀初頭にF・ベーコンによって提唱されている。

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1605年、フランシス・ベーコンはアルファベットの文字を二進数字の並びで表す体系を論じ、任意の無作為なテキストで微かに判別可能なフォントの変化に符号化できるとした。二進符号化の一般理論として彼が指摘した重要な点は、同じ方法をあらゆる物に適用できるという点であり、「2種類の異なる状態をそれらの物で表現できればよく、鐘、トランペット、光、松明、マスケット銃など同様の性質があればどんなものでもよい」とした。これをベーコンの暗号と呼ぶ。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%80%B2%E6%B3%95
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『学問の進歩』か・・・。この考え方は、面白いし、現代的だ。Dictionary of the History of Ideasで昔読んだことがあるけれど、古代から数字が万物に割りふられている、という考えがあったらしい。
http://xtf.lib.virginia.edu/xtf/view?docId=DicHist/uvaBook/tei/DicHist3.xml;chunk.id=dv3-50;toc.depth=1;toc.id=dv3-50;brand=default

でもベーコンのこの考えは、もの自体に数が割り振られているのではなくて、ものの状態、つまり、ONであるかOFFであるか、とかに1と2の数字が割りふられうる、というもの。これはとっても近代的な考え方だ。

ライプニッツが二進法を考えたのは、こういう思想的流れのなかにある。

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数学的に二進法を確立したのは17世紀のゴットフリート・ライプニッツで、"Explication de l'Arithmétique Binaire" という論文も発表している。ライプニッツは現代の二進法と同じく、1 と 0 を使って二進法を表した。ライプニッツはシノファイル(親中家)でもあり、後に「易経」を知って、その六十四卦に 0 から 11111 までの二進数を対応させ、彼の賞賛してきた中国の哲学的数学の偉大な成果の証拠だとした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%80%B2%E6%B3%95
******************************

ライプニッツによる二進法の確立と、ベーコンによるその応用方(応用法が先に考えられた)を合わせれば、コンピューターが生まれる。電子計算機は、信号のオンとオフとの状態を、二進法に翻訳することによって生まれた。

数を数える、という行為は、単純だが、とても奥が深い。

2012年4月7日土曜日

80年代の芸術的なゲーム Deus Ex Machina

ぼくは『死ぬまでに1001』シリーズが好きで映画のやつとか音楽のやつとかを見るのが好きなのだけど、最近、『死ぬまでにやりたいヴィデオゲーム1001』というシリーズ最新作を買ってみた。

見るとよくできていて、40年間のヴィデオゲームの歴史がよくわかる。アメリカのゲーマーが『マザー』や『スーパーマリオ2』なんかを長い間プレイできなかった、みたいなことも悔しそうに書いてあって日本人としてなんだか嬉しい。

80年代のファミコン時代は確かにゲームの黄金期で、コンピューターで実現可能なさまざまなゲームを多くの人が開発していった。クソゲーも多かったけれど、今みたいなお金もうけのための手抜きクソゲーが多いのではなくて、アイデアレベルのクソゲーが多かった。それはとりもなおさず、業界の活気の結果としてのクソゲーだった。

ぼくは新しいメディアが誕生し、成長していった時期にちょうど居合わせたことを幸運に思う。それは人類史上、画期的なことだった。

が、一つ悔やまれることは、当時パソコンを持っていなかったので、当時のパソコンゲームはぜんぜんプレイしていないということだ。パソコンゲーム雑誌なんかを見て、海外で開発されている突飛なゲームをうらやむ毎日だった。いまのパソコンゲームは高度になったが、そこからは当時のような驚きってのはえられない。



さて、『死ぬまでにやりたいヴィデオゲーム1001』を見ていて、ぼくが夢に見ていた(もう思い出せない)不思議な海外ゲーのどれをも超える存在がすでに80年代に生まれていたことを知った。

それはDeus Ex Machina


これはゲームというより、一つのコンセプトアルバムのような存在で、買うとゲームと音楽テープがついてきたらしい。で、ゲームをしながらテープをかける、というか、テープをかけながらゲームしたらしい。上のヴイデオでは上手くシンクロさせられている。


テーマは、コンピューター化された社会で誕生から管理されている人間の一生。DNA段階から死ぬところまでのミュ-タントの一生を、プレイヤーはインキュベーターとして守るという話。最初の方でドット絵で描かれたベイビーがでてくるけれど、視覚的にけっこう強烈だ。


まずすごいのは音楽で、ぼくはこれを聞いてLaurie Andersonを連想した。当時の実験音楽の雰囲気が満ちている。実際の音楽の担当はIan Duryというニューウェーブ音楽の人。まあぼくも知らなかったけど、70年代後半にいい音楽を作っていた人らしい。


声はドクター・フーの人で、シェイクスピアなどからの引用などを読んでいるらしい。


見ればわかるけれど、この「ゲーム」にゲーム性はあまりない。これはゲームというよりは、テーマを持ったインタラクティブな映像アートだ。あまり詳しくはないから確かなことは言えないけれど、これはいま現在のメディア芸術のレベルをはるかに超えているように思える。


少なくともぼくが東京にいたときにメディア芸術祭とかで見れた、コンピューターによるインタラクティブなインスタレーションってやつの多くは、映像や光や音の発生や変化をこちらの動きや反応によって楽しむ、というもので、そこにテーマはなかった。なんか原始的なことをして喜んでいる、という感じ。


ところがこのゲームは、オーウェル的な設定と物語がある。それを(ある程度)インタラクティブな映像表現として体験させるというとこまで行っている。このアイデアをそのままに、現代のもっと高度な機器で立体的かつ身体的なメディアアートにすれば、それだけで十分最先端のものになりそうだ。

80年代にすでにこのレベルのことを考え、実現していた、というだけでも衝撃的だ。当時先端の映像表現と、先端のお話、先端の音楽、そして先端の技術(ヴィデオゲーム)。商品としては全然売れなかったらしいけれど、これを80年代に組み合わせてみようと思った、というのはちょっと異常な創造性ではないか。

2012年4月6日金曜日

若いときに感性が豊かなのは本当か


原理的には、人ができることには二つしかない。感じることと学ぶことである。人は感じ、学ぶ生き物である。

学ぶってことは学習することだけれど、これと「成長する」ことは別だ。酒の味を学んで酒乱になるかもしれない。学ぶこととは、むしろ習慣をつけることである。

ある感覚、感情を抱き、その体験をもとに次の行動を決めるようになる。それが学習することだ。要するに、感覚と記憶が人間の二大機能なのだ。


ところで最近、自分が今まで生きてきて、人が体験しうるあらゆる感情や感覚をもう味わった、という気がする。学習することはまだまだあるかもしれないが、アトム的な要素である個々の感覚や感情で体験したことがない、というのはないだろう。

自分で直接に体験したことに加え、映画や本を通じて体験した感覚もたくさんある。擬似的な感覚というのはない。想像されたものでなければ、感じられた感覚というのはすべてリアルなものだ。それを強く体験すれば、感情もまた味わえる。たとえば『プライベート・ライアン』を見てほんとに戦争の恐怖を感じれば、そこにいた兵士の感情も幾分かは知ることができる。感情もそれが想像されたのでなければ、やはりすべてリアルだ。


となると、もう新しい体験はないのだろうか。そんなことはない。感覚や感情というのは組み合わせられるものだ。たとえば、にがいとすっぱいとかいう感覚は、それぞれ別個に体験したことがあっても、同時にはないかもしれない。同時に二つの味がすればそれは新しい体験となる。可笑しいと怖いとかいう感情も、それ単体ではありふれているけれど、組み合わせられればやはり新しい体験となる。

ほかには、同じ感覚や感情でも、体験する場が違うとそれは新しい体験となる。たとえばスポーツをしていてはらはらしたことがあっても、人のスピーチを聞いていてはらはらしたことはないかもしれない。縁側でぽかぽかしたことはあっても、ダンスを見ていてぽかぽかしたことはないかもしれない。それを感じる場が違えば、それと今まで同じ感情を体験していたとしても、新しいセンセーションを感じることになる。


同じ感覚や感情の違うバリエーションというのもある。あんぱんの甘さとおはぎの甘さは少し違う。でも、はじめて人がバナナを食べたときに驚きながら感じた甘さと、そのあとメロンを食べたときに感じる甘さでは、前者のほうがより強烈だっただろう。なんでも初めてというのは強烈だ。

いまぼくは、アデルやブライト・アイズを聞いて感動するけれど、もしこれをニール・ヤングやボブ・ディランを聞く前に聞いていてとしたら、この人たちはぼくにとって神になっていただろうと思う。もちろん、最近のアーティストの音楽を聴いておぼえる感動ってのは、質としては若いときにレナード・コーエンを聞いたときのそれと劣るわけではない。でも、それはぼくにとってはすでに感じたことのバリエーションの一つなのであって、ファーストインパクトの驚きを与えはしない。


若いときには「感性」が豊かだ、ということがよく言われるが、これは嘘だ。若いときには感性が豊かでいろんなことに感じていた、というのは、要するにファーストインパクトの強烈さをいろんなことに感じていた、というだけである。こういうセリフを言う人間は、ほんとは自分の「感性」を育ててこなかったのだ。

実際は、人はいろんな感覚や感情を味わえば味わうほど、その区別が細かくつくようになる。感覚の鋭さに関しては生まれつきで決定されている面もあるだろうが、感情に関してはそういうことはない。人は多くの体験をすればするほど、より多くの感情のバリエーションを持つようになっていく。つまり、記憶を蓄えれば蓄えるほど、より「繊細な」感情を持つようになる。それも学ぶということだ。