2012年5月4日金曜日

情報の価値とは

数日前に書いたぼくの記事へのコメントについてどうも気になるので考えていたら、どうやら情報というもののについての基本的なリテラシーが共有されていないようだ、ということに気づいた。

どうやら、情報の価値とは何か、ということについて世の中の多くの人は理解していないらしい。そんなことあるはずない、と思うかもしれないが、そうとしか考えられない。

問題は次のように提示された。ぼくが引用したある記事や文章について、それが正しいのかどうか示せ、と言う人がいる。もっともな意見と思われるだろうか? しかし、ぼくがここで「世界は今年終わる」という文章を引用してきて、これは本当だと思う、と書いたら、それを人は信用するのだろうか?


だが、情報の価値とは、それが真か偽か、ということにあるのではない。情報というものの三つの大事なポイントについて話そう。

一.
情報は人に行動を促すために提供される。

こんなことはあまりに当たり前すぎるのでいちいち学校では教えてくれないし、誰もそんなことを言わないと思う。でも、これを理解しないで生きるというのは、とんでもなく危険だ。

たとえば、地震があって、地震研究所では津波がくると言っている、という情報があるとしよう。この情報の価値は、それが真であるか偽であるか、ということにあるだろうか? もし来たら、やったね本当だった、嘘だったら残念、なのか? 

もう一回繰り返すと、すべての情報は、人の行動のための判断材料を提供することをその目的とする。残念ながら、一年前の大地震では、多くの人が津波予報を聞きながら避難しなかったという。この人たちは、情報の価値を真か偽か、ということにおいていた人たちだ。津波警報という情報の真の価値は、来たら危険なので避難すべき、という行動を促すところにある。避難しなかった人は、それを理解せず、頭の中だけで完結する情報としてこれを受け取った、ということに問題があるのだ。

情報の価値という問題は、あまりに基本的すぎて誰も気がつかない。しかし、それを意識して生きていく必要がある。

二.
では、どのような情報を元に行動するべきか。

次の二つの情報がある。1.原発がメルトダウンした。危険なので30キロ圏内の人は避難するように。2.原発がメルトダウンした。放射性物質がどこまで飛ぶかはわからないのでできるかぎり遠くへ避難すべき。

この場合、どちらの情報をもとに行動するのがよいだろうか。またしても、問題は真か偽かということではないことに注意する必要がある。とくに、2の情報は詳しいことはわからないが、危険だ、言っている。そんな真か偽かわからない情報を流すんじゃあない、という人、この人たちは情報というものの意味を理解していない人たちだ。

この場合の問題は、どちらの情報をもとに行動した方がリスクが少ないか、ということにある。すると、2の情報をもとに行動する方がリスクが少ないのがわかるだろう。30キロという指針はわかりやすいので、往々にして人はこちらの情報を行動のために選んでしまう。しかしこれは間違いだったことが今になってわかっている。当時の政府を攻める人たちは、2の情報をえていたらその通りに行動した人たちなのだろうか?

情報は行動を促すために提供される。しかし、人がいうすべてのことが有意義な情報なのではない。

三.
情報はつねにソースを提示されるべきである。


誰が言ったかわからない意見を引用しておいて、引用元への参照もなく、それで私はこう思う、というようなものは情報として価値がない。ソースを示さないものは、ただの噂だ。

テレビの一つ一つの報道にしても、つねにソースについて言及している。それが警察の発表だったり、あるいはテレビ局自体の情報収集に基づくものであれ、必ずソースを示している。誰誰が、どこそこの機関がこう言っている、というふうに必ず言われているはずだ。ニュースというのは、テレビ局が真だと信じることを流しているのではない。

ゆえに、メディアが本当のことを言わない、と批判するのは正しくない。メディアが手に入れている情報を全部公にしない、ことについては批判できる。しかし、彼らが持っている情報が真か偽か、ということは彼らにはわからない。聞く側もわからない。三度目だが、情報の価値はその真偽ではない。

ゆえに、情報を提供する側としては、ソースを示して誰かが言っていることを紹介すれば、それでよいのである。それ以上、するべきことはないし、するべきでもない。これこれは本当だと思うとか思わないというのは無責任なおしゃべりにすぎない。あまりに大事なのでもう一回言うが、その情報を受けた側がどう行動するのか、それだけが問題なのだ。

ほんとうか嘘かわからない情報を元に行動なんかできない、という人は、自分の命や財産や時間を絶えず危険にさらすことになる。この情報は本当かどうかわからないけれど、リスクを最小限に減らすよう行動するべき、というのが取るべきマインドだ。なぜか、というと、人が生きるということ、それはさまざまな事実の真偽について知っていく、ということではなく、行動していく、ということだからだ。

今年世界が終わるという情報をもとに宇宙に逃げろ、と言っているわけではない。そのへんは常識で判断してほしい。自分にまったく知識がない分野については、人の言うことを聞き比べて、もっとも取るリスクが少ない行動をしていけばよい。自分はここでどれだけリスクを取るべきか避けるべきか、というのは問題によって異なるだろう。

もう一つわかりやすい例をあげておこう。誰々の言うことによるとあなたが密かに思っていたあの子があなたのことを好きらしい、と誰かがあなたに言う。あなたのするべきことは、その真偽を確かめることなのか、それとも二人の関係を育てるために何か行動をはじめることなのか、どちらか。前者を選ぶ人は、いつになっても自らの人生を生き始めないだろう。だが、世の中の大半はそういう人たちであるらしい。

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