2012年5月1日火曜日

情報弱者からいかに抜け出るか

情報弱者、いわゆる「情弱」の原因にはいくつかある。いかにそれを克服し、抜け出すか。それが今日の大きな教育的課題だ。

日々多様な情報がいきかう現代社会では、情報はつねに断片的に提供され、大きな見取り図を持つことが難しい。テレビではなく、新聞、本などにあたることでそれが解決されるかもしれない。だが、対立する様々な情報が飛び交う中、それの真偽を見極めることはますます難しくなっている。

情報は最終的には、自分の行動を導くための判断へと集約される。そして情報には、1.基本的かつ一般的な知識、2.特殊な知識、3.直接行動を促す結論、大まかに分けてこの三つがある。

栄養学で言えば、1は栄養学上の言葉や概念、2はたとえば、炭水化物だけで生きている人の話、3は「よってタンパク質は生存には必要ではない」あるいは「炭水化物だけで生きるのは特殊な人」というような判断。3の情報をもとに日々の行動が決定されていく。

これを踏まえると、情報弱者から抜け出すには以下のような段階を経なくてはならない。


1.その分野における基本的な情報の収集。

放射能でいえば、放射性物質について、測定単位について、放射能による大まかな健康被害予測、などがこれにあたる。
これが一番重要なことだが、多くの人はこの段階さえクリアーしない。

2.個別情報の収集

昨日の日記から例をとれば、鼻血の件がこれに当たる。ここでは事例を収集するのも大事だが、同時に注意するべきこともある。大まかに二つある。

2a.反対意見・反証を多面的に検討

一つ目は、それぞれの特殊な情報は、一つの未確定な情報であって、その情報を肯定する意見も否定する意見も出ているということだ。鼻血の例で言えば、これらはネット上ですでに出ている。これは被曝だという医師の最初の意見、それに対する血液内科医の意見、それに再反対する意見。

http://togetter.com/li/150517
http://togetter.com/li/175317

個別の事例に対する専門家の意見、というのは、一つの特殊な情報であって、1のレベル(一般的な知識)の情報ではない。その情報のレベルをつねに意識しながら情報を得よう。

上の二つの意見からでは最終的な結論は出せないと思うかもしれないが、まだその段階ではないのだ。ただここでは、血液内科医が書いている、放射能はガンマ波とベータ派だけ、ということが正しくない(アルファ派もある)、ということに気がつけばよい。これは1の段階(一般的な知識の収集)で多くの情報を得ていれば気がつけることだ。

さて、一つの情報にはさまざな角度があるので、それについても検証するべし。たとえば鼻血の例だと、そもそも鼻血の大量発生など出ていない、という意見がある。
これを検証するのはちょっと面倒だ。ネット上できるのは、「鼻血」というキーワードがある時期からどれだけ頻繁に使用されるのようになったか、というくらいことだ。もちろん、実際の患者数などの裏付けがとれればベター。

2b.類似事例を探す

この段階でするべきことの二つ目として、違うソースに当たる、というのがある。関東での鼻血、という事例に類似する事例を探せばよい。たとえば、チェルノブイリの子供たちはどうなっているのか、など。

チェルノブイリ小児病棟_01 ~5年目の報告~


ある事例から結論を導くまでには、一つのソースでは足りない。すでに見たように、一つのソースに対しては、それがどのくらい説得力があるかは別にして、反論も反証もでている。それらに対して反論できるかもしれないが、決定的な証拠というのは一つのソースからは出てこない。最低でも三つのソースの裏付けが3に至るためには必要だ。

ただしそれは他人を説得する場合のことだ。自分一人の行動を決定するには二つのソースで十分だろう。

3.判断

1.の段階でえた知識をもとに2.でえた特殊な情報(個々の事例)について判断するのがこの段階。どういう判断がもっとも確からしいのか、という判断を決定する要因は、経験である。

過去に自分が調べ判断した事例というのがあるはずだ。そして、運がよければその判断の可否もすでに知っているかもしれない。そうした経験をもとに、2の情報についての最終判断を下すことになる。過去に正しい判断を多くしてきた人間の判断は経験によりより確からしくなっていくだろうが、そうでない人間の判断はそうではない。

というわけで、1.2.3.のそれぞれの段階において必要な作業と能力は異なる。それらさまざまな過程の総合として一つの判断はある。一人の専門家の意見なんかが絶対に正しいと言えないのは、たとえ1.のある分野についての比較的正確な知識があってもそれを2.に応用できなかったりするからだし、ましてや3の判断へと導く経験数が不足しているからであったりもする。

ある判断について責任をもつのも、その結果を受け取るのも自分だ。

ところで、情報にはいま自分が知らないが大切な情報というのもある。たとえばぼくは最近まで、タンパク質を摂取しないと疲労感を抱く、という栄養学的知識を知らなかった。この程度のことなら、いままで生きてきて普通に耳に入ってきていてもよさそうなものだが、そうではなかった。こういう、欠けている知識を意識して手に入れる、というのが実は一番難しい。当たり前だが。

欠けた知識のない人間というのは決して存在し得ないので、欠けている知識がある、というのは悪いことではない。しかし、それが実生活に直結する知識である場合、それは悪いことだ。これを解決するには次の二つのマインドを持つしかない。

1.日々いろんなことに疑問を持ち、
2.なにか不都合なことや問題があればそれを解決していこうとする意思を持つこと

調べれば情報はある。あとはやる気だ。

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