2012年3月16日金曜日

今さらだけどスティーブ・ジョブスはすごかった

今日、ipadの新型が発売されたと聞いてお店に行ってみたら、おいてなかった。なぜだろうか。
ここが田舎なのか。 しかし、ネットで見ても、発売されたのは「ipadの新型」であって、ipad3ではない。わけわかんない。さらに新型がでたらどうするんだろうか? FinalFantasyの新型とか聞いても、それが14なのか15なのかもうわかんないように、ナンバリングというか、名前をつけるのは大事なことだと思う。スティーブ・ジョブズが生きていたらそんなことを許しただろうか?

さて、彼のこの演説を久々に見直して、やっぱり彼はすごいと思った。なにがすごいかって、彼は経営者である。であるからには、キャッシュフローのやりくりとか、効果的な人の雇い方、いかに人を上手く使うかとか、いかにして売れる新製品を開発するか、とか、お金出して聞きたいっていう人がたくさんいるような話題を、彼はいくらでも話すことができる。

んが、彼はそういう話をいっさいしなかった。それで、彼の人生を決定づけた三つのことについてだけ話している。それで十分すごい話だっていうこと自体がすごいことなんだけど、要するに、ものすごい大きなことについてしか話していない。こういう次元に到達できる人間というのは少ない。 

こういうことを考えるようになったのは、いまある人のメルマガを購読しているから。その人もやはり企業の経営者なんだけど、それなりに大きくて面白い話をする。たとえばこれ↓ 

http://ameblo.jp/tetsuofunahara/entry-11194008431.html

ほかにもいくつか個人事業者の人とかのメルマガを読んでいるけれど、だいたいはノウハウレベルの話が多い。つまり、小さい話が多い。ところが、上のブログの人は、一次元上の話をしている。それは、彼が普通の事業者よりも一次元上の段階にいるからだと思う。これより上ということになれば、ジョブズになる

多くの人にとって面白い話をする、というのはすごいことだ。子供のときに毎週聞かされた校長先生の話なんか、一つも覚えているものはない。大学の卒業式で、当時の学長の話を聞いたけれど、思わず失笑しそうになるほどつまんない話でびっくりした。一生のあいだに、それだけ大勢の人に一度に話をする機会というのは大学の学長といえどそう多くない。その貴重な機会に、希望に燃える若者の心をうつ話をできない、ということは、彼の人生が若者の心を打つようなものではなかった、ということだ。 

人生で経験することが人を思考させ、それがその人の話すことのレベルを決定する。いまさらだけど、スティーブ・ジョブズのこの演説はまさに最高レベルのそれである、ということを確信するのだった。

2012年3月10日土曜日

就職活動で絶対に成功する方法

良い就職・転職先を決める三つの要素 ~ 経済評論家・山崎元のビジネス羅針盤
http://www.r-agent.co.jp/guide/yamazaki/20110818.html

上の記事はよい。今の時代、こんなふうに冷静に就職について話す人が出てきたんだなあ、という感じ。むかしからいたのかもしれんが。

最近日本では就職活動ってのがはやっているらしい
http://ameblo.jp/tetsuofunahara/entry-11186256430.html

はやってるつっても、まあ毎年のことだろうけど、これ、日本だけの現象なんだよね、婚活とかと同じく。ほかの国は知らんが、フランスでは就職は行きたいところにCVという履歴書と動機書を自分で全部作って、送る、それをひたすらやる。新卒っていう概念がないし、みんなしょっちゅう仕事探しているので、逆に新卒の方が厳しい。

まあそれはいい。どちらにせよ、どこかに雇ってもらうってことは、どれだけその職場でお金を稼げるか、あるいはそこで上手に歯車になれるか、その可能性を見せるってことの結果としてある。それをわかっていて、どこに行きたいかがわかっているんなら、就活なんて100パー成功するはず。

たとえば、どこかのメーカーで働きたいんなら、チリでいま取引しているとこより三割も安く仕入れるって情報を手に入れて、仕入れと輸送のめどまで大まかにたてていれば、採用される。それを面接官とかに話すんじゃなくて、経営者レベルの人に話す。

だって、エントリーシートとかを何十枚も書いて何十社にもあてずっぽに送って、一社ずつ朝起きして面接とかに行くより、そういうレベルのことを集中してやったほうが絶対能率はいいわけよ。そして、そこまで知識とノウハウを持っていたら、その会社じゃなくても、関連企業にもその案をもっていける。というか、そういう勉強をしたってことが何より今後役に立つ。

でも、そういうことする人はいないだろうな。というか、そんだけできるんなら自分で起業するって。

というわけで、より現実的な策としては、上のブログの人が書いているように
http://ameblo.jp/tetsuofunahara/entry-11186256430.html

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そんなことよりも
きちんと質問を理解して答えられているかとか
(コミュニケーションをしっかりと出来ない人はとても多いです)
言ったことを言ったとおりに出来るかとか
(言ったことを言ったとおりに出来ない人はとても多いです)
そういうことの方が重要です。
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ま、この二つができればそれで問題はないと思う。
きちんと質問を理解して答えられ、
言ったことを言ったとおりに出来る
とか、そんな人、フランス人には100人に一人もいない。
というか、いるのかって感じだ。

日本はレベルが高いのかもしれんが、まあこの二つさえできれば
間違いないだろう。それが難しいんだけど・・・・

さらに言えば、それがなぜそんなに難しいか、ということまで
理解していれば、まず間違いない。
あとは面接官に興味を持ってもらえれるように
多少は目立っておく、とういうことくらい。

よくありがちな就職活動の落とし穴は、
自分の社会的価値とか存在意義まで
まだついてもいない仕事に見いだそうとしたりする
ことにある。

はじめの記事の内容と一致するけれど、
そういうことはすっぱり忘れて
いかに今後継続的にお金を稼いで
この世の中で生き延びていくのか
ということだけに集中するのが正解。
ま、ぼく自身は就活はしたことないんだけども。

2012年3月9日金曜日

楽しむことと生き延びること

人生ですることってのは、1.楽しむこと、それと2.生き延びること、この二つしかない。この二つのうち、優先順位が高いのは「楽しむこと」であり、「生き延びること」ってのが必要なのはなぜかというと、それは人は人生を楽しむために生きるからだ。

人が学ばないといけないことも、上の二つしかない。「楽しむこと」と「生き延びること」。人が教えるべきことも、「楽しむこと」と「生き延びること」の二つしかない。楽しみを見いだし、生きる喜びを見つけることと、その喜びのために生きる方法を身につけること。自殺する若者が増えるのは、このどちらも自分で学ばなかったか、教わらなかったからだ。これは個人の問題のように思われがちだけど、何の楽しみも希望もない社会では自殺者が増える。


これはすごく単純で明快なことなんだけれど、こうして言葉にして明快にする、ということをやる人はあまりいない。だから問題が見えない。まあそういうことはよくあるが、これはまあ、基本中の基本で、大事なことのなかでも一番大事だ。


たとえば、会社で死ぬほど働く。それはお金を稼いで生き延びること、には役に立つが、そのせいで人生に疲れて、楽しむこと、をしなくなったらどうなるか。生きる喜びがなくなるということ、それは生きる力がなくなるということで、死んでしまう、ということだ。目標1と2の両方が生きるためにはつねに必要だ。

大学でたとえば何の役にも立たない心理学を勉強する。これはつまんないので1にも関係ないし、ましてや2にも関係ない。するとこれはまったくの無駄、ということになる。そういうのはもう詐欺と同じで、時間とお金を無駄に他人に取られているだけだ。自分にとって興味のもてないことほど意味のないことはない。

すべての教育は、何かに関心をもたせ、それをおもしろい、と思わせるか、あるいは、生きるのに役立つ技能や知識を教える、ためにある。ところがいまの教育はそのどちらの役に立っていないものが多い。繰り返すが、これは詐欺だ。人生の若い段階で、それに気づかず、何も学ばず、何にも興味持てないと、自殺を選んでしまう、というのはよくあることだ。

つまり、これは教育の問題でもあるわけだ。

これだけいろいろ面白いものがある日本で自殺が増えているというのは、よほど社会に希望がないか、教育が失敗しているか、そのどちらかだ。ぼくはその両方だと思う。

■良い人生見えぬ・友人できない…死に急ぐ若者
(読売新聞 - 03月09日 14:36)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120309-OYT1T00737.htm?from=rss&ref=mixi

2012年3月5日月曜日

子供たちのためのクラシック音楽授業に行ってきた

ぼくのすんでいる町では、日曜日はシネマテックや劇場で子供のためのプログラムがある。映画の方はいったことあったけれど、音楽の方はいったことがなかったので行ってみた。演目はベートーヴェンの交響曲六番。 

買ったチケットにはフランス語で「席自由」と書いてある。するとびっくり、劇場の前には人だかりができていた。その人気の原因はすぐわかった。この人だ。 


髪の短いJean-François Zygelという人、この人がこの番組、「La boîte à musique」を作って司会しているんだけど、この人が第一楽章の演奏の後出てきて、曲の紹介をしてくれた。もうしゃべりがうまいのなんのって。ぼくはこの番組もこの人のことも知らなかったけれど、あまりにしゃべりがうまいから調べてみたら有名人だったってわけ。 

フランス語でしゃべるときには、すごく強弱をつけてしゃべるので、しゃべるがうまい人はすごくうまくなる。これは哲学の講演会みたいなので、日本人とフランス人が一緒に発表したときにすごく思った。日本語で育った人だとかなりしゃべりがうまい人でも、強弱はない。フランス語で話していても日本語みたく抑揚なくしゃべる。これは寝れる。ところが、不思議なことに、このぼくでさえフランス人がフランス語で話している授業を受けていて寝たことがない。実際、下のラカンの授業とか受けてて寝れるって人いるだろーか? ちなみに、日本人留学生は最前線で録音しながら受けるのが伝統。 

この動画の7分くらいに起こった出来事、これ、どこかでその留学生だった人の話を読んだことがあったけれど、まさか録画があったとは・・・Youtubeすごいな。 

まあそれはともかく、子供のための授業だったけれど、ぼくにとってもすごくためになった。六番はいわゆる標題音楽ってやつで、六楽章それぞれに題がついている。んで、それぞれの楽章にいろんな情景を思い起こさせる曲があるってことを説明してくれた。一楽章ごとに、それぞれダンスや、嵐、鳥の鳴き声など。いろいろ異なるモチーフがある



たとえば、第3楽章「農夫達の楽しい集い」で入るオーボエの旋律は酔っ払いの踊りで、そこに入ってくるファゴットはそれを「ハハハ」「ハハハハハ」と馬鹿にしている、みたいなこと。動画では一分目くらいのところ。僕の前に座っていた子供は、そのあとの演奏でこのファゴットの音を聞くたびにクスクス笑っていた。ちなみに第六の解説は下を参照。 


さて、Zygelさんはこういう子供ための授業を一つの仕事にしていて、CDも出している。本業は音楽家らしいけど。 


この人の授業を受けていて、西洋のクラシック音楽がこの時期に、自然や人間の生活から音楽を取り出すようになった、ということに気がついた。西洋音楽ははじめは聖なるテキストに抑揚をつけて歌うだけだったのが、数世紀で「田園」まで発展したってわけだ。これはすごいことだ。 


ベートヴェンとかの時代だとまだモチーフがわかりやすいけれど、これがショスタコヴィッチくらいまでくるともうわかんなくなる。現代になると、完全に意味不明だ。まあ例外もあるけど・・・・。下のはマシンガンがモチーフですね 


音楽というのはその着想の源泉の変化もさることながら、なにを音楽として楽しむか、ということが歴史とともにかわってきた。ということを前から考えていたんだけど、まだいろいろ勉強するべきことがあるってわかっただけでも収穫だった。子供ための授業、あなどれません。 

ちなみに「人類の至宝」とまでいわれるワルターの演奏はいろいろな録音を聞き比べてみた後に聞くと良さがわかる・・・かも