2012年9月10日月曜日

日本サッカーに足りないもの


ここ数ヶ月、ユーロ2012、オリンピック、女子U20W杯と立て続けにサッカーのトーナメントをたくさん見て、すっかりサッカー漬けになってしまった。日本代表の試合も各種たくさん見れた。

で、気になったことがある。男子も女子も、日本人選手はファウルを滅多にしない。男子U23は六試合でファウル数が89、メキシコが同じ試合数で78。あれ、男子だとけっこうというか普通にファウルしてるのか。1試合につき15ってのは少ない方ではない。
http://www.fifa.com/mensolympic/teams/team=1889789/index.html

でも、女子は明らかに少なかった。

女子A代表は六試合でファウル数が42に対し、被ファウル数が85。アメリカが同じ試合数で81だから、ほぼ半分だ。
http://www.fifa.com/u20womensworldcup/teams/team=1888600/index.html

女子U20は六試合でファウル数が31、ドイツが六試合で61だからやはり約半分だ。
http://www.fifa.com/u20womensworldcup/teams/team=1888594/index.html

日本人の女の子はじつにファウルが少ない。とくにU20では一試合につき五つ。統計ミスじゃなければ、こんなのサッカーじゃない、というくらい少ない。


もちろん、ファウルってのは反則だから、しない方がいいにこしたこたぁない。実際、審判も、日本があまりにファウルしないもんだから、相手のプレイに対してきつくファウルを取る、ということがあった。

とくに、グループリーグ中はその傾向が強かった。しかし、決勝トーナメントの、それも後半になると、審判のファウルの取り方がかわってくる。きっと、審判陣は日本の相手にファウルを取りすぎたことを見て、調整してきたのだと思う。ある試合を境にばったりと審判が日本の対戦相手のファウルを取らなくなる。そして、それはだいたいの場合、いきすぎる。

はっきり覚えているのは数日前にあったU20の対ドイツ戦。ユーゲントジャーマンの執拗なタックルにヤングなでしこは苦しめられる。が、明らかにイエローの場面でも審判はイエローはださず、ただのファウルで処理する。同じ選手が明らかに何度もイエローに値するタックルを繰り返しても、やはりイエローは出ず。ここでフランス人の実況は、「審判はFIFAの規定は知っているはずだ。なぜイエローが出ないのか」とまで言っていた。この試合、イエローの数は結局0。

イタリアや韓国じゃあるまいし、ドイツがメキシコ人主審Lucila VENEGASを買収していたとは思えない。彼女は、日本戦では相手についついファウルを出し過ぎてしまうということを念頭におくあまり、あまりに明確なファウルを見過ごす結果になったのだと思う。こういうことは、よくある。

確か2010年の男子W杯でも、決勝トーナメントで同じような審判のジャッジの傾向の反転があったように思う。男子は、数字上はいまは十分な(?)ファウルをするようになったようにも思えるが、ロンドンではやっぱりそうでもなかった。日本男子U23は、明らかにクリーンな戦い方をしていた。これはいいことかもしれないが、運もからむトーナメント戦を勝ちぬくには厳しい。じつに厳しい。

男女問わず、日本の相手はこっちのシャツをつかんだり、後ろから胴体に腕を回して引きずり回したり、セットプレーで相手をこっそり突き飛ばしたり、というようなことは数秒おきにやってくる。で、そういうすべてのプレーに対してファウルが取られるわけではない。とくにペナルティエリア内では。つまり、日本はやられ損だ。

http://www.youtube.com/watch?v=WD7oR7UQDv4&feature=related

上で見られる対談では、外国人が日本のサッカーに足りないのはマリーシアだと言っている。これは実に10年前から言われていることだ。トルシアは日本代表監督として、はじめて選手にマリーシアのやり方を教えていた。それから十年。

Jリーグの特徴は、今でもクリーンなプレーにある。というか、Jではそもそも身体的接触が少ない。激しいあたりも、ファウルぎりぎりの攻防もすくない。全体的に少ないから、ちょっとそういうプレーをすれば一発でファウルを食らうと思う。外国人選手(ピクシーとか)がはじめ日本の審判になじめないのはそのせいもあると思う。



女子の試合を見ていて、この子たちむちゃ上手い、と思ったと同時に、この子たちJでも活躍できるじゃないだろーか、まで思った。身体的接触が少なく、テクニックの上手い選手が活躍できるJだと、田中陽子とか岩渕真奈が出てきたら男子をちんちんにできる。あ、決してJリーグのレベルが低いということを言いたいのではない。Jはリーグアンなんかよりかは絶対上だ。それより、あの子たちが世界レベルでうますぎるって話。しかもかわいいし。若いしかわいい。ま、でも、あれ、試合おわった後にユニフォーム交換しないってのは興ざめ。

2012年9月9日日曜日

ManUtdの香川に何が求められているのか?

サッカーの戦術には、一般的に考えると、どうつなぐか、どう守るか、ペースはどうするか、どこから攻めるか、といった要素の複合によって決定される。で、それぞれの要素については、大まかに二つ選択肢がある。つなぎに関しては、ロングかショート、ペースに関しては早いか遅いか、守備のラインに関しては高いか低いか。攻めについては中央かサイドか。

たとえば、五輪日本代表は、ショート、クイック、ライン高で、フルゾーンプレスのショートカウンターを狙った。これは永井という俊足カウンター要員がいたからできたしはまった。しかし、いったん相手がショート、スロー、ライン低という戦術をとってくると、カウンターができなくなり、日本の戦術は機能しなかった。一つしか戦術をもっていないと、どうしたっていつかは対応されて終わってしまう。

同じことが日本のA代表にも言えるし、ManUtdにも言える。ManUtdはイングランドのチームにありがちな、ロングパス&サイド攻撃という戦術を使っている。つまり、ゴリ押し。これに対して、香川はどちらかというとショートパス&中央突破という戦術にフィットする選手だ。ファーガソン監督は、チームに変化を加えたくて香川を獲得したのであり、そこんところはサポもよく分かっている。というのも、今までのManUtdの試合は面白くないし、ロングパスとサイド一辺倒だけでは、ヨーロッパの強豪には勝てない。

と、こうまとめとる簡単だけれど、ショートパスのいったいどこがすごいのか。これは、ここ十年(あるいは五年)ほどの間に起きたと思われる、サッカーの進化に関する話になってくる。それは、誰もが知るあのチーム、バルセロナによってもたらされた。バルサ以前のサッカーはどうだったか。94年のワールドカップや、ぼくは見ていないけれどEURO2004とかでは、守備的につまんなく戦ったチームがいい成績を収めていた。このころは、理想と現実のギャップ、ということが頻繁に語られ、サッカーとは究極的にはつまんないものかもしれない、とみんなが思い始めていた。

ところが、EURO2008を期に世界に名をとどろかせるようになったスペイン代表やバルセロナは、サッカーにとってまさに福音といえる存在となった。美しく、しかも効率的なサッカー、ということがありえるということを彼らは世界に示した。それは理想と現実の融和だった。そして、いまや、日本の子どもたちだけでなく、あのロングボール一辺倒だったオーストラリアでまで、バルサを手本としたサッカーが模索されるようになってきている。彼らの影響力というのは、サッカーの世界に限っては、いかなる国、権威をも超える。


バルサはショートパス主体の攻撃だ。見れば一目瞭然のその特徴。パスの出してともらい手がめまぐるしく場所をかえながらボールを動かし、チャンスを作る。これが機能するのは、モダンフットにおいて、選手は相手のボール保持者にプレスすることが鉄則としてあるからだ。そのため、ボールを動かせば相手も動く。その動いたところにできたスペースを使えば、またボールがつながっていく。そのことについて、とても詳しく解説したページがある。


これ。ここでは、香川を含めた日本代表が、まるでバルサみたいなサッカーをしていることが解説されている。香川がいたドルトムントのある試合を例に出しながら、pal-9999さんはこう書く

「現在のサッカーのゾーンディフェンスというのは、ボールホルダーにプレスがかかっていることが前提であり、フリーのボールホルダーには誰かが当たりに行こうとする傾向がある。こういった「ボールホルダーに当たりに行こうとするDFの習性」を利用して、最終ラインにいたMFの一人を前に釣り出す。これが彼の狙い。そして、狙い通り、サヒンに当たりにDFが前に出た事でゾーンの間にわずかなスペースが生じているのがわかると思う。ここでボールを受けることができれば、敵DFラインの裏に抜け出せる。香川はこの判断がもの凄く速い。」

これがキモの文章。ボールをエサにして、相手を動かし、相手が動いたことで生まれるわずかなスペースをつく。香川はそれが上手い。

それがどんだけ上手いかというと、日本代表の試合について解説されているところの文章で解説されている。

「これは、相手のDFラインが、ピラミッド型に変形しようとする、その一瞬の隙をついたスプリントで、ピラミッド型に変形しようとすれば、一瞬だが、△の中心から底辺にかけてスペースが生じてしまうのは避けられない。その一瞬を逃さず、走り込んでボールを受けることができれば、フリーで裏に抜け出すことができるのだ。香川がJ2で、そしてブンデスで散々繰り返している動きである。彼は、本当によくサッカーを知っている選手だと思う。この一瞬を逃さない。」

基本DFはフラットに守っているが、DFの前でボールを持った相手がいる場合、誰が一人があたりにいく。そのとき、わずかにあたりに前に出た選手と、少し後ろにいる選手の間に、少しのスペースができる。

そこに香川は入り込んでボールをもらうのがうまい、ということらしい。これはすんごい高度な戦術眼がいることだし、同時にすごいハイレベルなレベルなテクニックがいることだと思う。pal-9999さんはもともとセレッソのファンだったらしく、その時代から香川を見てきているのだと思う。そして、彼の解説は、ドルトムント、日本代表、そしてバルサの試合に至るまですごく深いところをとらえている。これは、日本のサッカーを見ていれば、世界のサッカーのハイレベルな攻防も分かるようになるということだと思う。この現象は、サッカー選手が日本でむちゃくちゃ成功すれば、世界のハイレベルなクラブでも成功しうる、ということと平行の現象だ。これは、いま元セレッソにいた選手が熱いということとも無縁ではない。

この時期の日本代表は、遠藤と香川が機能していたらしく、両者の連動について上のブログではまとめられている。もっとも、遠藤は香川が出てくる前から、うまくパスを使って相手をわずかに引き出す動きがうまかった。このことについて、遠藤自身が語っているので、見てほしい。


このビデオの八分目くらいのところ。ここで、遠藤は左にフリーの選手に出す前に、前の松井に出して、松井が戻したボールを左の選手に走らせて出している。ここで、遠藤がはじめの松井へのパスの効果について解説している内容は、まさにpal-9999さんが何度も解説していることと同じだ。ボールの持ち手にわずかにつられた相手の裏をかいて、三番目の選手にパスを出す。これだ。

2006年のW杯の時、日本の選手は、二人目までの連動はできるが、三人目、四人目動きがついてこない、それができないと厳しい、ということを言っていた。いまの日本代表は、出来不出来はあるかもしれんが、それができている。攻撃が、個人技に頼るものよりも、組織の動きで崩すものになってきている。これが、ここ五年で進化したサッカーの成果だ。


バルサ以降のパスサッカーの基本についてまとめるとこうなる。相手のプレスの動きを利用して、ボールをもっていない味方の選手を一瞬フリーにさせる。と同時に、相手のプレスによってできたスペースを狙う、という動きによって相手を崩す。


このエントリーでは、ドルトムントと日本代表の試合を例に、香川の動きについて解説されている。ここを読むと、ビルドアップがいかに複雑に構築されているかが分かる。ぼくはサッカーの試合をみていてもそんなことはまったくわかんないので、この人は本当にすごいと思う。

が、2ちゃんを見ていると、香川はバックパスが多いからだめ、みたいな意見が多かった。これは、多くの人が、まだサッカーの戦術が変化したことを理解していないのだと思う。もし、常に前にパスを出すしか攻撃の方法がないのであれば、相手の組織的な守備にはまず勝てない。かつての日本代表がそうだった。2006年のW杯では、中田ヒデが執拗に相手の裏を狙ったパスを出していたが、ことごとくつながっていなかった。これは、このときの日本代表が、いまのフットで知られてきているパス回しによる崩しを知らなかったからだと思う。実際、攻撃に関しては個々の能力による突破しかなかった。これは、日本だけでなく、当時の世界的な傾向でもあった思う。


かつてバックパスがあくとされた時代があった。それは、ひたすら前へ前へとボールを運ぶしか攻撃の方法を知らなかった時代の話だ。いまのフットボールでは、バックパスも攻めの一つの過程の一つだ。誰かのブログで、ヒデ世代のときの日本代表のバックパスは、攻めあぐねて選択肢がないときのものだったが、いまの日本代表の遠藤のバックパスは、それでも攻めの流れがとぎれない印象を受ける、と書いていた。これはすごく正しい。遠藤はパスの出し手として、香川はパスの受け手として、ショートパスによる崩しのキーパーソンたり得る選手なわけだ。

ただ、いまのManUtdが、ドルトムントやこの時の日本代表みたく、組織的な動きによる崩しをしているかというと、そんなことはない。これができるには、選手全員がイメージを共有しないといけない。しかし、ファーガソン監督は、細かく戦術を教えるというよりかは、いい選手をとってきて働かせているだけのように思える。それがイギリス流なのかもしれんが、それでは香川の活躍には自然と限界が来る。彼は一人で突破したりする選手ではないからだ。

というわけで、以上のことを念頭に置いてManUtdの試合を見ていくと、すごく面白そうだ。あるいは、ああー香川フィットしてないよー、ルーニー早く戻ってきてーと、余計にイライラすることになるかもしれない。そこがまたサッカーの面白いところだと思う。

ただ理解しておきたいのは、香川がイギリスで通用するかということが問題なのではなく、ここ五年で進化したフットボールの体現者として、彼がManUtdでそれを実践し普及できるか、ということが問題だと言うこと。彼がやるフットボールは、実はたいがいのイギリス人選手より進んでいるのだ。日本の選手が海外で通用するかどうかではなく、彼のモダンなフットが、いまだ古くさいサッカーをしているチームを変えられるかどうかが問題なわけだ。日本人はいつも欧米を手本にしてきて、手本がなくなるとパニックになってしまう。しかし、今や、日本人が世界に手本を示す時代になった。そのことに、多くの日本人はまだ気がついていない。