フランスではこないだ選挙があって大統領が替わった。この国での大統領は日本の天皇と首相なんかより偉いらしく、この国の象徴かつ最高権力者である。
下の記事では、今回の選挙ではサルコジ対オランドが争点なのではなく、妥当かつありうる政権vs極左・極右が争点だったという。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120424/231362/?P=1
これはどういうことかというと、多くの国民がいまのフランスに限界を感じている、ということだ。失業率は増え続け、物価は上がり続け、社会保障はカットされていく。そういう国で社会不安が広がるのは無理もない。結果どうなるか。
フランスは内向きになった、ということがよく言われるし、長くフランスに住んでいる人ほどそれを感じていると思う。たとえば、パリ大学では、外国人の入学を規制しろとフランス人の学生がマニフェステーションをしたらしい。仕事を持っている外国人は、それがどんな仕事でもvisaを手に入れるのが難しくなり、帰国せざるをえなくなっている。
これは、フランスだけの動きではなく、西ヨーロッパ全体で起きている。イギリスでは、入管で、労働ヴィザによる入国でない外国人が、労働目的で来ているとわかると入国を拒否する。今回のオリンピックでも選手やスタッフなどがイギリスに残って働かないように対策を取っている。
外国人によって仕事を取られるという恐怖、これがいまの西欧を支配しているわけだ。その結果。外国人にしかできない仕事をしている者でも閉め出されてきている。
ヨーロッパに民主主義が根付いているというのはまあ幻想だ。大統領は強権を持ち、異論を握りつぶす。民衆は政治のことも経済のことも理解せず、安易な選択を選ぶ。フランスがそもそも外国人の締め出しをはじめたのは、二回前の選挙の時に極右のルペンが最終候補にまで残って、主流派が右翼の取り込みに走ったからだ。
その結果起こることは、まだ誰も想像していないようだ。しかし、もし日本が幕末に開国せず、外国人排斥を続けたらどうなっただろうか。トルコ帝国が栄えたのは領内の優秀なイラン人を活用したからだ。
外国人がいるということは、その国の人間の雇用を奪うということではなく、外国人によって新たな雇用が生まれる、ということだ。仕事を作るのは人で、雇用はもともとアプリオリに存在するものではない。いまのヨーロッパ人は、高校などで経済学を習っているにもかかわらず、こうした経済の最も基本的なことを理解していない。
彼らは、雇用とはもうそこにあって増えも減りもしない、と考えているようだ。恐ろしいことに、この考えはただの夢想に終わらない。なぜなら、彼らはこの考えを元に社会のシステムを作り、結果として社会を彼らが考えているような誤ったシステムに染め上げてしまうからだ。ドイツはともかく、いまのフランスは新たな産業も企業も起こらず、というかそれを起こすような体制になっておらず、社会として緩やかな死に向かっている。
だが、経済的な衰退だけが外国人排斥によってもたらされるのではない。19世紀以降、ヨーロッパは世界のモデルだった。ヨーロッパで最新のものを学び、それを日本に持ち帰る、というのが日本の進歩にとって必要だった時代が長らくあった。もはやただの意味の無い儀式になっているが、いまでも官僚がパリに留学したりする(彼らが講義についていけるほどのフランス語力をもっているわけではない)。もっとも、いまの多くの日本人はヨーロッパの進んだ文明を見習いにくるというよりも、より文化的な、料理や音楽などのために来るようになってきてはいる。たとえば、フランスの一流レストランで日本人がいないところはない。
いまのヨーロッパは、そうした、文明・文化的中心地としての地位を、目に見えないところでじわじわ進行している外国人排斥運動によって捨てようとしている。それは、まるで自らの愚かさに自らをどっぷりとつけこむようなものだ。しかもこれは、政治の次元で起こっているのではなく、国民の次元で起こっている。そうなったとき、もう誰もその国を救う人はいないし、出てこない。